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浅草象潟町会の由来
「象潟という町名は、この地に屋敷をもっていた華族六郷政鑑の旧領地の一地名からとってつけたという。六郷政鑑は幕末から明治初年にかけて、羽後本荘で二万余石を領した藩主であった。
町名の由来となった象潟は、現在の秋田県南部海岸沿の地で、「出羽富士」と称される鳥海山の西側山麓に位置する。江戸時代、象潟は景勝の地で、九十九島、八十八潟と呼ばれる島や入り江があり、仙台の松島と並び称された。松尾芭蕉も立ち寄り、「象潟や雨に西施がねぶの花」という句を詠んでいる。文久元年(一八六一)の地震で土地が隆起し、景色は一変してしまった。現在は田圃の中に小山が点在している。
浅草象潟町は、明治五年(一八七二)、六郷家の屋敷跡を町域にして起立した。昭和九年(一九三四)、浅草象潟一・二・三丁目の起立にともない、浅草象潟町は二分され、町域は約十分の一にせばめられた。
昭和四十一年(一九六六)、住居表示制度の実施で、浅草三丁目から五丁目に分割編入された。」
(台東区HPより)
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